傾く人生 歌舞伎道
  • 伝統芸能こそ「攻める」。ワンピースに初音ミク、革新的な歌舞伎を生み出す松竹の芸能魂

    ■傾く人生 歌舞伎道 銀座・成田屋のトピックス

    スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』より©尾田栄一郎/集英社・スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』パートナーズ

    国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の、重要無形文化遺産にも指定されている伝統芸能・歌舞伎。今日でも、東京の歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場、京都の南座、大阪の大阪松竹座、そして博多座や名古屋の御園座など全国の劇場で、数多くの歌舞伎公演が行われ、大勢の観客を集めている。
    しかし、若い世代や歌舞伎ファン以外の人にとっては「難しそう」「ハードルが高い」と感じる人も少なくないのではないだろうか。
    一方で、歌舞伎は伝統を重んじながらも、近年そのイメージを覆すような革新的な作品を次々と仕掛けていることをご存じだろうか。
    人気漫画『ワンピース』を題材にした「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)」(外部リンク)に、バーチャルシンガーとコラボレーションし、ニコニコ超会議内で上演を重ね、2022年は4都市の劇場でも上演された「超歌舞伎」(外部リンク)、2023年の春には人気ゲーム『ファイナルファンタジーX』を歌舞伎化する新作(外部リンク)が、2024年にはスーパー歌舞伎Ⅱ『鬼滅の刃』が上演されることも決まっている。

    シネマ歌舞伎『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』のポスター(画像は2013年に映画館公開用に作成されたもの)。2023年8月18日(金)~24日(木)の期間、全国34館で再上映される。画像提供:松竹

    こういった革新的な作品の礎を築いたといわれているのが、1986年に三代目市川猿之助(いちかわ・えんのすけ)さんが手掛けたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』だ。
    劇中では歌舞伎特有の話し方ではなく現代語が使われ、スピーディーな演出を駆使する等、これまでの歌舞伎のイメージを大きく変えることに成功。若年層が歌舞伎に触れるきっかけをつくった。
    この作品は歌舞伎界にとって大きな革命のように思われるが、その根底にあるのは、江戸時代に大衆文化として生まれた歌舞伎のエンターテインメント性を取り戻す、いわば原点回帰ともいえる試みだったそうだ。
    歌舞伎唯一の興行主である松竹株式会社(外部リンク)で、歌舞伎製作部長を務める橋本芳孝(はしもと・よしたか)さんに、新作歌舞伎の取り組みについて話を伺いながら、伝統芸能を未来に継承していくために必要なことを考えていきたい。

    歌舞伎にエンターテインメント性を取り戻す

    歌舞伎の起源といわれる「かぶき踊り」を生み出した出雲の阿国の銅像。Andrzej Dziba /shutterstock.com

    歌舞伎は、1603(慶長8)年に出雲の阿国(いずものおくに)という女性芸能者が生み出した「かぶき踊り」がその起源だといわれている。
    「かぶき踊り」はその頃に流行した、派手な身なりをして常軌を逸した行動をする「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れた踊り。男装をした女性が、女性と戯(たわむ)れる様子を、歌や踊りで描いたその芸は、人々に熱狂的に迎えられた。
    その後、風紀を乱すという理由で1629(寛永6)年に幕府は女役者を禁じ、成人男性が演じる「野郎歌舞伎」へと発展。今日の男性のみが舞台に立つ歌舞伎につながる。
    松竹の創業者である白井松次郎(しらい・まつじろう)、大谷竹次郎(おおたに・たけじろう)は、14歳の時、京都にあった劇場「祇園館」で9代目市川團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)の歌舞伎の舞台を見て大いに感銘を受け、その後、1895(明治28)年には松竹を創業し歌舞伎の興行を手掛けるようになり、1929(昭和4)年には、全ての歌舞伎俳優を傘下に収めることになった。

    1914(大正3)年から松竹の直営劇場となった、東京都中央区銀座にある歌舞伎座。多くの歌舞伎ファンが訪れる聖地のような場所だ

    そんな松竹にとって一つの転機となった作品が、1986(昭和61)年に初演されたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』だ。高尚な伝統芸能として確立されてきた歌舞伎を、もっと親しみ、楽しんでもらいたいと考えた三代目市川猿之助さんによって生み出された。
    この作品が画期的だったのは、現代語を用いた歌舞伎という点にある。いち歌舞伎ファンとして、客席からこの作品を観ていたという橋本さんは、その衝撃を振り返る。
    「冒頭で宮廷の大臣が出てくるシーンがあるのですが、その最初のせりふが『おはようございます』だったんですね。私はそれに『おおー』と驚いてしまって(笑)。こんなに分かりやすい現代語が使われることは、これまでの歌舞伎にはありませんでしたから」

    小さな頃から歌舞伎に親しんできたという橋本さん。歌舞伎に並々ならぬ熱い思いを持っている

    「これは歌舞伎と言えるのだろうか」と考えもしたが、見ているうちにどんどん作品の世界に引き込まれていったという橋本さん。その理由は革新的な要素と、古典的な歌舞伎の要素を見事に取り入れている点にあるという。
    「音楽は下座音楽(げざおんがく)と現代音楽を融合させていましたし、衣裳も継承されてきた伝統的な素材を用いながら、現代的で斬新なものでした。視覚にも聴覚にも訴えかけてくるような舞台だったんです。そこに猿之助歌舞伎の真骨頂である、登場人物が宙を舞う『宙乗り』や、一瞬で役が入れ替わる『早替わり』などが入ってくる。さらに観客を魅了したのは、燃え尽きてしまうのではないかと思わせるほどの、猿之助という俳優の新作にかけるエネルギッシュさ。途中から目が離せなくなっていました」
    この作品は大きな話題となり、メディアにも大々的に取り上げられた。瞬く間に人気となり、これまで歌舞伎を見たことがなかった多くの若者が劇場に足を運ぶきっかけにもなったという。その人気ぶりを裏付けるように、同年の秋にはすぐに再演が決まった。
    秋の再演にも足を運んだという橋本さんは、「もうこの時には猿之助さんのせりふ回しがしっくりきていた」と話す。さらに再演を重ねていく『ヤマトタケル』。2012年、4代目市川猿之助の襲名公演の演目の一つに選ばれたのもこの作品だった。
    「新作であったはずの『ヤマトタケル』という作品が、猿之助という名前のもとに継承されていき、そこにある意味での古典性が生まれました。このようにどんな古典も最初はみな新作です。優れた新作は再演を重ねて、練り上げられていき、やがて古典となっていくのです」

    継承され、さらに進化したスーパー歌舞伎Ⅱ

    スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』のチラシ(画像は歌舞伎を映画館で楽しめる『シネマ歌舞伎版』のもの)。画像提供:松竹

    4代目市川猿之助は、名前と『ヤマトタケル』という作品だけでなく、スーパー歌舞伎というジャンルそのものも引き継いだ。氏が2015年に手掛け、大きな注目を集めたのがスーパー歌舞伎Ⅱ『 ワンピース』だ。
    作中では滝のように流れる水の中での大立ち回りや、宙乗り、ダンス、プロジェクションマッピングなど、スーパー歌舞伎をより進化させた試みが随所に取り入れられた。その仕掛けに大きな注目が集まったが、橋本さんは作品の魅力はそれだけではなく、歌舞伎のアナログ性を表現している点にもあると話す。
    「この作品の魅力は最新のテクノロジーとアナログ性が融合している点にあると思います。例えば主人公のルフィがゴムゴムの実を食べて腕が伸びるという表現。これをテクノロジーや仕掛けで表現するのではなく、歌舞伎の世界での『黒は見えない』という約束事に従って、黒衣(くろご)たちの腕をつなぐことで表現しました」

    黒衣は歌舞伎以外にも人形浄瑠璃等でも登場する metamorworks/shutterstock.com

    「見得(みえ)をする動きや、踊りの要素など、歌舞伎的な所作が活かされた表現も随所に見られ、そういった部分こそがスーパー歌舞伎たるゆえんだと思います」

    「超歌舞伎2022 Powered by NTT」新橋演舞場・南座公演のチラシ。画像提供:松竹

    その後、歌舞伎と最新テクノロジーとのコラボレーションによって生まれた超歌舞伎(2016年~)など、新作歌舞伎を意欲的に発表し続けている松竹。これらの作品によって、歌舞伎全体の観客層も大きく変化したという。
    「歌舞伎というのは、作品を通して歌舞伎俳優さんのファンになるという方が多くいらっしゃいます。スーパー歌舞伎や超歌舞伎を見たことによって、その作品に出演していた歌舞伎俳優さんのほかの歌舞伎を見に行ったという方も多いです」
    これらの作品は確実に、多くの若者が歌舞伎に触れるきっかけをつくりだしているのだ。

    「継承と創造」。創業者の思いを引き継ぐ

    伝統芸能を継承していくため、松竹として今後の取り組みを尋ねると、橋本さんはこう答える。
    「歌舞伎というのは伝統芸能でもありますが、その時代、時代を生きている演劇としての側面もあります。古典としての伝統を守る継承の精神と、今のお客さまに向けて新しいものを作っていく創造の精神、この両輪をもって作品を作っていくことが私たちの使命だと思っています。この精神は松竹の創業者である白井松次郎、大谷竹次郎から脈々と引き継がれたものです。2人は歌舞伎という文化を守るため、さまざまな革新を行ってきました。日本の国劇でもある歌舞伎を一企業である松竹が今日まで130年近く担わせていただくことができたのは、この想いを引き継いでいるからにほかなりません」
    日本の大切な伝統芸能を次世代へと継承していくために、私たちができることはどんなことだろうか。
    「まずは単純に作品を見て、楽しんでいただきたいです。コロナ禍の影響を受け、歌舞伎作品のオンデマンド配信(外部リンク)も行っていますので、ちょっと気になる方、どんなものだろうかと思っている方は、ぜひ一度お気軽に利用していただきたいのですが、やはり劇場に足を運んで生の舞台を体験いただきたいですね。歌舞伎俳優の息遣いや、迫力を肌で感じていただくこと。そして歌舞伎作品、歌舞伎俳優に触れるだけでなく、和服や音楽、踊り、そして日本古来の生活様式など、歌舞伎を通して日本文化にも触れていただくこと。その体験を通して、興味を持ったことの一つでも追求していただくことが、歌舞伎という伝統芸能を広め継承していくことにつながっていくと思います」
    伝統芸能と聞くとどうしても気負ってしまうが、そんな必要はないと橋本さんは言う。
    「私は幼い頃から歌舞伎に触れてきました。話の意味は分からなくても、歌舞伎座の空気感、衣裳のきらびやかさ、それを感じることが大好きだったんです。今では舞台の進行に合わせて、あらすじ、時代背景、歌舞伎独特の約束事などを解説してくれるイヤホンガイドもあるので、初めて見る方も内容を理解していただきやすいと思いますし、最初から全てが理解できなくても、感じていただけるところが何かあるはずです。気軽に、お芝居を楽しむために足を運んでもらえたらうれしいです」

    歌舞伎唯一の興行主である松竹の歌舞伎製作部長を務める橋本芳孝さん 撮影:十河英三郎

    「伝統を守る」という言葉があるが、「攻める」ことが守るにつながる。事実、歌舞伎はそのようにして伝統を継承し続けてきた。
    少子化、担い手不足などでさまざまな文化が廃れていっている現代だが、歌舞伎のこの精神は、伝統文化継承のヒントになるのではないだろうか

    引用: 日本財団ジャーナル

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