傾く人生 歌舞伎道
  • 鮭川歌舞伎、土舞台復活へ

    ■傾く人生 歌舞伎道 銀座・成田屋のトピックス

    愛宕神社境内に残る土舞台の様子。ここに仮設舞台を設置することにしている=鮭川村京塚

    江戸時代から約250年の歴史を持つ鮭川村の鮭川歌舞伎。その保存会が、かつて演じていた土舞台(どぶたい)上での特別公演を9月19日に実施する。村民らが実行委員会を組織し、往時の雰囲気を観客に味わってもらおうと準備を進めており、保存会は「歌舞伎の価値を高め、さらに多くの人から応援してもらうきっかけにしたい」と意気込んでいる。

    鮭川歌舞伎は五穀豊穣(ほうじょう)を神に祈り、農民のささやかな楽しみとしてかつて村内4地区の各座が地元の神社に設けた土の舞台で奉納していた。しかし、その舞台の設置や撤去に苦労が多く、体育館などの施設が登場したことにより、奉納歌舞伎の場としては50年ほど前から使われなくなった。近年、保存会の内外から土舞台の復活を望む声が上がり、保存会の結成50周年に当たる今年、特別公演をすることにした。

    15日に村中央公民館で実行委員会が開かれ、事業計画を決めた。会場は4座の中で最も古い歴史を持ち、かつ舞台の状態が良い京塚の愛宕神社境内に設定。参道を上りケヤキや杉の木に囲まれた小高い場所に、土を1メートルほど盛り上げて作った台形の舞台がある。実行委はこの四隅に柱を立て、大垂(おんだれ)と呼ばれるカヤで編んだ巨大なすだれを掛けるなどして、仮設舞台を整備する。費用は村や東日本鉄道文化財団からの補助金を活用。当日は保存会が2演目を披露する。

    テレビ番組収録のため、京塚の土舞台で演目を披露した約30年前の様子。土の舞台が使われたのはこれが最後となった

    東北文教大の菊地和博特任教授(民俗学)によると、土舞台は聖徳太子が考案し、かつては全国各地に存在する格式高い場だった。現在もその上で芸事を披露する団体は宮城、秋田両県に残るのみだとし、「土舞台は芸能の原点とも言える場所。復活公演はその当時の精神性や伝統を受け継ぐという意味がある」と高く評価する。

    保存会員であり実行委員会での実務を担う、同村石名坂、村職員黒坂洋平さん(32)は「自然豊かな場所で地元民が歌舞伎を披露することが農村歌舞伎のあるべき姿だ」と語る。新型コロナウイルスの影響で中止した定期公演の代わりに無観客公演を実施し、その様子をインターネット上で配信するなど、新たな取り組みも目立つが、「先人が紡いできた歌舞伎の本質を引き継ぐことが文化の継承には必要だ」と強調する。保存会の佐藤成一会長は「新型コロナで先が見通せない状況ではあるが、できるだけ多くの人に自然を感じながら演技を見てほしい」と話している。

    鮭川歌舞伎
     起源は1773(安永2)年で、農村歌舞伎として村内に4座が存在していた。戦前の1940(昭和15)年を最後に上演は途絶えていたが、65年ごろに復活。4座が合流し71年に保存会を結成して定期公演を行っている。2006年に県無形民俗文化財に指定され、20年度には保存会が斎藤茂吉文化賞を受賞した。

    引用:山形新聞
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0e2cd7e61482ea5963917b541af99bf058fde851

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