Column
銀座傾き物語
【銀座傾き物語】
1873年の銀座煉瓦街は、明治日本のショールーム
明治5(1872)年4月の「銀座大火(ぎんざたいか)」は今はもう語られることも少ないようですが、この大火災こそが、今の銀座の始まり、そして、ひいては現代の歌舞伎道と成田屋の始まりと言えなくもありません。
銀座大火は丸の内、銀座、築地一帯の江戸時代からの街並みを焼き尽くしました。歌舞伎道と成田屋の伝統にも、あとから思えば少なからぬ影響を与える大火災だったと思われます。明治新政府は銀座を火災に強い西洋風の街に改造することを決め、翌年には大通りに沿って洋風2階建てが建ち並ぶ「銀座煉瓦街(ぎんざれんががい)」が完成しました。あの鹿鳴館(ろくめいかん)完成の10年前のことであり、おそらくは日本の文明開化をアピールするための街づくりでもあったのでしょう。
煉瓦造りの建物の中での、エアコンなしの夏の暑さはいかばかりだったかと思われますが、こういった「やせがまん」があればこそ、近代日本において銀座は別格の街となり、さらには歌舞伎道も成田屋も別格となっていったのかもしれません。
旧百十三銀行小樽支店(小樽市指定歴史的建造物)。明治41(1908)年の建築。実は木骨石造ですが、あとから外壁に煉瓦タイルが張られたといいます。銀座煉瓦街にあこがれる気持ちもあってのことかもしれません。
明治時代の双六(すごろく)より(部分)。和装が大部分の中に、鹿鳴館の貴婦人のようなドレス姿の女性も見られます。東京のどこかの街と思われる絵で、当時の銀座のイメージもこのようなものだったのでしょうか。