傾く人生 歌舞伎道
  • 役者とご贔屓は江戸の華

    「玄人(くろうと)はだし」とは、玄人がはだしで逃げ出すほどの、素人(しろうと)の名人芸という意味。しかしこの「はだし」とは本当のはだしではなく「足袋(たび)はだし」、草履や下駄なしの足袋だけの状態をさします。ではなぜ、足袋はだしで逃げるのでしょうか。
    江戸時代の大きな商家では冠婚葬祭はもちろん、宴会や接待も自宅で行うのが本来の姿だったようで、玄人の芸人を家に呼んで芸をしてもらうことも多かったようです。ところが、その家の主人が旦那芸を披露したとたん、あまりのうまさにプロの芸人がまっ青になって、足袋はだしのまま庭に飛び降りて逃げ出す…というのが「玄人はだし」の語源といわれています。自らも素人名人の旦那衆をご贔屓にするには、歌舞伎役者にも大変な修練が求められたということでしょう。成田屋の現在の繁栄も、歌舞伎を愛し、時に芸に厳しい目を向けてくださるたくさんのご贔屓筋に支えられてのことです。


    これは安藤広重(1797-1858)の「江戸百景」のうちの、大手呉服店の前での情景を描いたもの。こんな大店(おおだな)の内では商売のみならず、主人一家と奉公人(ほうこうにん)の日常生活があり、宴会も行われていたといいます。


    「ジャワ更紗腰差したばこ入れ、赤胴玉川形羅宇きせる」(燕市産業史料館所蔵の丸山清次郎氏(1900-1982)のコレクションより)。明治時代のものですが、赤地のジャワ更紗のたばこ入れにご注目。江戸の旦那衆もその装いは渋くても、たばこ入れのような小物に、こんなちょっと贅沢な遊びをとり入れていたかもしれません。

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