傾く人生 歌舞伎道
  • 市川海老蔵の借金地獄 ~19億円!の負債と、父・妻を亡くした悲劇

    ■傾く人生 歌舞伎道 銀座・成田屋のトピックス

    十二代目市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)を父に持ち、歌舞伎界の名門、成田屋の長男として誕生。6歳にして『源氏物語』の演目にて歌舞伎座で初舞台。8歳にして七代目市川新之助を襲名。 そして26歳にして十一代目市川海老蔵を襲名。その襲名披露公演としてフランス・パリでの歌舞伎公演も成功。同国政財界の面々も観覧し、メディアでも大々的に取り上げられたとのこと。

    さらにはNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に主人公・宮本武蔵役で主演。映画『出口のない海』にも主演。そのほかドラマや映画、現代劇の舞台などにも多数出演。市川海老蔵という人の「芸」の幅広さは、まさに凡人には真似できない領域です。

    その一方で、若かりし頃からスキャンダルやトラブルなどで、世間を騒がせてきたことでも有名。

    とりわけ、隠し子騒動や女性芸能人との熱愛と破局、そして西麻布の飲食店でのいわゆる「市川海老蔵暴行事件」は、歌舞伎にくわしくない層にも広く知られています。

    そんな市川海老蔵氏ですが、ここ数年で父・十二代目市川團十郎氏、そして妻で元フリーアナウンサーの小林麻央さんを相次いで亡くす悲劇に見舞われました。これらの出来事だけでも心へのダメージは計り知れませんが、さらに海老蔵氏にはもうひとつの重荷が課せられています。

    それは総額19億円(!?)とも言われる莫大な金額の借金。そう聞くと、海老蔵氏にあまりくわしくない方は、数多のスキャンダルやトラブルのせいで、そこまで借金が膨れ上がったのかと思ってしまうかも知れません。

    部分的にはそうした側面もありますが、大部分は、実は別の要因なのです。言わば歌舞伎界の名門である市川宗家、成田屋を守るために、莫大な負債を背負う決心をしたという事実があるのです。

    今回の記事では、そんな十一代目市川海老蔵氏の生い立ちやこれまでの活躍、スキャンダル、家族との関係、そして借金を背負うことになった理由などを紐解いていきたいと思います。ぜひごらんください。

    歌舞伎界の名門、その御曹司として生まれる

    十一代目市川海老蔵氏(本名:堀越 寶世:出生名の孝俊から改名、読みは『たかとし』で同じ)は1977年に誕生。

    父は十二代目市川團十郎、母である堀越希実子さんは梨園のおかみさんのかたわら着物デザイナーとしても活躍。そして2歳年下の妹には、日本舞踊市川流・三代目市川ぼたんとして知られる堀越智英子さんがいます。

    歌舞伎ファンの方ならご存知かと思いますが、この市川宗家、成田屋という家柄は、歌舞伎名門中の名門。この家に長男として生まれるということは、市川新之助、市川海老蔵、そして市川團十郎という名跡を受け継いでゆく宿命が課せられるということです。

    それこそ、江戸時代の徳川将軍家や大名家のようなものであり、一般人には想像を絶するような稽古を行い、また跡取りとしての重圧にも耐えていかかければなりません。

    こうした歌舞伎界の世襲制を、非現代的と批判する声も見られますが、幼少期から歌舞伎の芸事や作法、所作を教え込まれてこそ「本物」の歌舞伎役者が生まれるとされています。

    ちなみに、海老蔵氏がエッセイストの阿川佐和子さんと行った対談の中で、俳優として確固たる地位を築いている香川照之氏が46歳にして九代目 市川中車を襲名し歌舞伎の世界に足を踏み入れたのは、ご本人が歌舞伎で活躍するためと言うよりも、息子さん(五代目市川團子)を歌舞伎の世界に「還す」というのが目的であり、歌舞伎界では父親という存在がいるかいないかで、運命が大きく変わると述べています。

    そして奇しくも、このことは海老蔵氏本人にも、大きく関わってくるのです。これについては後ほどくわしく。

    幼少期から十代後半までの「やってられるか!」時代

    ご存知の通り、歌舞伎の世界では女性が役者として舞台に立つことはありませんが、歌舞伎の家に生まれた場合、踊りや舞踊の稽古というものは女の子に対しても行われるとのこと。

    海老蔵氏の実妹で、日本舞踊家である市川ぼたんさんは著書の中で、兄妹そろって踊りの稽古をしていても、自分が行なっている時と、兄である海老蔵氏が行なっている時では、空気の張り詰め方や雰囲気がまるで違っていることを、子供ながらに感じたと証言しています。

    一般人には計り知れない位の、想像を絶する緊張感が張り詰めていたのでしょう。それが毎日続くとなると、並大抵のことではありません。

    ちなみに、海老蔵氏が脳科学者として著名な茂木健一郎氏との対談の中で明かしたところによれば、幼少期から少年期にかけて「こんなことやってられるか!」というモードに度々突入したとのこと。

    ただし、そうした時にも、父である團十郎氏はある種の「放し飼い」状態で見守るという姿勢をとっていたとのこと。

    そんな中でむしろ厳しかったのは、市川宗家の脇を固める弟子筋の歌舞伎関係者の面々だったとか。とりわけ大きな出来事として語られているのが次のエピソード。

    海老蔵氏が小学4年生の時、初めて歌舞伎の有名演目である「連獅子」に出ることになった際、その稽古をつけてくれたのは古くから成田屋に仕えている初老の俳優さん。

    ものすごいスパルタ式の稽古を課せられ、ここでも「やってられるかモード」に入りかけたところ、その俳優さんに身体をがっしりとつかまれ、目に涙を流しながら「私はあなたに『連獅子』を教えるために生まれてきたんだ!これが私の人生なんだ」という強烈なセリフを聞かされたのだそうです。

    その時はポカンとあっけにとられたそうですが、中学生の頃になると、ようやくその言葉の意味と重みを理解できるようになり、自分の置かれた運命を理解するようになったと語っています。

    知名度のアップと自由奔放さへのバッシング

    8歳にして成田屋の名跡である市川新之助を襲名し、前述の通り幾度となく「やってられるか」モードに突入しながらも、御曹司としての修行を重ね続けていたという10代。

    芸能人が多く通うこととで知られる堀越高等学校を卒業後、いよいよ人気歌舞伎役者として、世間一般への知名度を高めていくことになります。

    そのきっかけは2000年の歌舞伎座『源氏物語』にて光君をつとめ、チケットは発売初日に完売。会場は連日満員という、新たなスターとして注目を集めたこと。

    同世代の五代目尾上菊之助、二代目尾上辰之助とともに、歌舞伎ブームを牽引する新世代として注目されました。また、同じ2000年には、伊藤園「お〜い お茶」のCMにも出演し、歌舞伎にくわしくない層にも、広く知名度を高めていくことになります。

    しかし、そうした露出が増え知名度が増えていくにつれ、批判やバッシング報道なども増えていくのは芸能界の常です。とりわけ、市川新之助時代には、幾度となく、そうした記事が取り上げられました。

    例えば女性関係。2003年には、当時歌手でCMモデルでもあった日置明子さん(現在はsonoと改名)との間に隠し子がおり、養育費を支払っていることが判明。その後には当時グラビアアイドルとして人気を博していた佐藤江梨子さんと浮名を流したかと思えば短期間で破局。そこから間を置かず、今度は大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で共演した女優、米倉涼子さんとの熱愛と破局といった具合です。

    こうした騒動の中でも、海老蔵氏は、メディアによる批判などはどこ吹く風で、尊大かつ不遜といった態度を取ることもしばしば。

    絶大な人気を誇る一方で、いわゆるアンチも多いという、世間の評判が激しい状態でした。

    ちなみに2015年には、奇しくも自身のスタッフであるブラジル人男性と元カノである佐藤江梨子さんが結婚と妊娠を発表!公式ブログに「めでてぇ」と書き込むといったことでもマスコミの話題となりました。

    それはさておき、芸事に関する真摯さの反面、自由奔放で我が道を行く性格が、後の「あの事件」の原因となった、と見る向きもあるようです。これもくわしくは後ほど。

    十一代目「海老蔵」襲名と、父・團十郎の白血病発症

    ことわざの「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとし」、あるいは格言の「塞翁(さいおう)が馬」にもあるように、人間の幸と不幸は、まさに隣り合わせ。海老蔵氏にとっては、2004年がそんな年でした。

    この年の5月、それまでの名跡である市川新之助から、かつて父、祖父も名乗った市川海老蔵の名跡を襲名。

    ちなみに「海老さま」という呼称は、かつて祖父である「十一代目團十郎」が「九代目海老蔵」時代に呼ばれたものにちなんでのこと。祖父である九代目海老蔵は美貌と品格ある風姿で花形役者として知られていました。

    こうして現代の「海老さま」となった海老蔵氏ですが、奇しくも襲名式とタイミングを同じくして、父である十二代目市川團十郎氏が病を発症。診断の結果、白血病であることが判明したのでした。

    まさに、海老蔵氏の国内でのお披露目興行の真っ最中。運命のいたずらにしては過酷すぎる仕打ちです。

    しかも、この年の10月には、フランス・パリのシャイヨ宮劇場で「十一代目市川海老蔵襲名披露フランス公演」が予定されていました。

    海老蔵氏の妹である市川ぼたんさんの著書によれば、闘病生活中の7月頃に、團十郎氏が何としてもパリ公演で復帰し、さらには團十郎・海老蔵で「連獅子」の演目を行いたいと言い出したそうです。

    このことに娘のぼたんさん、息子の海老蔵氏、そして奥様の家族全員が猛反対。それこそ、ぼたんさんは大喧嘩の末にどうしても出るというのなら親子の縁を切るとまで言い放ったそうですが、團十郎氏は「それでも出たい」と主張。

    医師の懸命な尽力と、團十郎氏が舞台で命を落とすかもしれないという覚悟のもとで、パリ公演にのぞみ、成功を収めたのだそうです。

    当の海老蔵氏も2008年(團十郎氏がまだご健在で、小林麻央さんと結婚する前の時期)に行われたインタビューにて、父上が命に関わる状況の中で公演を続けたことを目の当たりにして、あらためて團十郎氏のすべてを習おうと覚悟がきまったと述べています。

    こうしたエピソードを見る限りでは、尊大で居丈高、不遜とも思える海老蔵氏も、大人になって性格が変わっていったのかのように思えます。

    しかし、「三つ子の魂百までも」のことわざの通り、市川海老蔵は市川海老蔵であることを知らさられる「あの事件」が起こるのでした。

    「市川海老蔵 西麻布暴行事件」、その衝撃と顛末

    市川海老蔵という人物を語る上で、避けて通れないのが、この大事件ですね。そのニュースが報じられた際は、近年の芸能ニュースの中でもかなり大きな衝撃を世間にもたらしたことも、記憶に新しいのではないでしょうか。

    事件が起きたのは2010年11月25日の未明。実はこの日、自身が出演する「初春花形歌舞伎」の記者会見が予定されていたものの「体調不良」を理由にキャンセル。しかし、実はその前夜に飲み歩いていたことも、批判に拍車をかけました。

    事のあらましは、24日の深夜に歌舞伎役者の仲間らと飲食し、仲間と別れ日付が変わったころに事件現場となった西麻布の会員制のお店へ移動。そこで元・暴走族グループとトラブルになり、暴行を受けたというもの。

    暴行の原因は酔った海老蔵氏がこのグループにテキーラを灰皿に注いで飲ませようとした、髪を引っ張り、頭を叩くなどの行為に及んだためとされています。

    暴行の結果、海老蔵氏は左頬陥没骨折、前歯の損傷、左目内出血、鼻、顔全体の腫れ、さらに腹部に受けた暴行を原因とする血尿などの大怪我の状態で帰宅。

    海老蔵が大怪我で帰宅するという事態に、前年に結婚し、長女となる麗禾ちゃんを懐妊中だった小林麻央さんが110番と119番通報を行い、本人は病院へ緊急搬送、顔面整復手術を受けることに。また事件も明るみになりました。

    この一連の出来事に父である團十郎氏は激怒。また出演予定だった京都・南座の舞台も降板となり、さらに事態を重く見た興行主の松竹より「無期限の謹慎処分」(実際には8ヶ月で解除)や多額の賠償金が課せられます。

    退院後に行われた記者会見では、さすがに「日ごろの自分のおごりが招いたこと」と謝罪。
    ちなみにその2年後、エッセイストの阿川佐和子さんとの対談において、この事件を振り返り、自分の甘さや非を認めながらも、神様によって自分が飛躍するために与えられた試練だったと考えていると発言しています。やはり市川海老蔵はいい意味でも悪い意味でも、タダモノではないといったところでしょうか。

    父・團十郎の死去――市川宗家当主の座とともに、莫大な負債も相続

    さて、ここからはいよいよ、海老蔵氏が抱えているとされる莫大な金額の借金について、掘り下げていきたいと思います。

    率直に言ってしまえば、その負債の大部分は、父である十二代目團十郎氏が2013年に亡くなったことに端を発しています。

    先にも述べました通り、團十郎氏は2004年春に白血病を発症しましたが、医師の懸命な努力と本人・家族の支えもあり、その年秋のパリ公演で復帰。

    しかし、その後は再発と治療を繰り返しており、2008年には妹さんから提供された骨髄移植まで受けていました。そんな中で海老蔵氏と小林麻央さんとの結婚と麻央さんの懐妊、「あの事件」、そして初孫となる麗禾ちゃんの誕生、海老蔵氏の舞台復帰という目まぐるしい時間を過ごしていました。

    そして2013年、白血病から併発した肺炎によって團十郎氏は死去。成田屋の次の跡取りとなる孫の勸玄(かんげん)くんが誕生する直前であり、それを見届けられなかったことは、さぞかし無念であったことでしょう。

    そして、團十郎氏が天国へと旅立ったことで、海老蔵氏は市川宗家、成田屋の当主を受け継ぐと同時に、團十郎氏が背負っていた莫大な借金も受け継ぐこととなったのです。

    父・團十郎氏が莫大な借金を抱えていた理由とは?

    総額19億円ともされる莫大な借金。そもそも團十郎氏はなぜこれほどのお金の負債を抱えていたのでしょうか?

    実はこれ、團十郎氏および成田屋が直接作ったものではありません。家系図的に言えば團十郎氏にとっての義父、海老蔵氏にとっては母方の祖父である、堀越希実子さんの実父が不動産事業の失敗によって課せられたものなのです。

    やがて、この義父が亡くなると、連帯保証人となっていた團十郎氏に負債が引き継がれます。その際にこの借金は、團十郎氏の自宅と土地を担保として、興行主である松竹が建て替えたとのこと。

    團十郎氏も一時は順調に返済していたそうですが、自身の白血病の治療費・入院費や海老蔵暴行事件による違約金や収入減などが重なり、結果19億円の借金となったとされています。

    米倉涼子さんとの破局は、この借金のせい?

    いわゆるゴシップ系のメディアやまとめサイトなどが発している噂的な情報ですので信憑性には疑問符がつきますが、海老蔵氏は米倉涼子さんとの結婚を考えていたものの、この借金のせいでご破算になったと指摘する記事があります。

    一説には、当時闘病中だった團十郎氏も借金を理由に、興行主の松竹や後援会が「資産家の娘でなければ」と横槍を入れたためというのが理由とのこと。

    あるいは、市川家が結婚後に米倉さんを海老蔵氏と同じ事務所に入れて芸能活動をさせようとしたところ、米倉さんの所属事務所の関係者が猛反対したため破局となったという説もあります。

    この手のゴシップは読書の気を引くため、それこそ虚実入り混じっているのが常ですので、どこまで本当なのかは当人達しか知らないことですが、もし市川家が借金を抱えていなかったら・・・結末は違っていた可能性もあったのかも知れませんね。

    海老蔵氏は、なぜ「相続放棄」を選ばなかったのか?

    ご存知の方も多いと思いますが、日本の法律では子が親の保証人となっていない限り、親の借金を返済する義務はなく、また親が死去した場合、借金などの負の遺産は相続放棄をすることができます。

    しかし、海老蔵氏は遺産も借金も全てを引き継ぐ「単純承継」を選択しました。

    その理由はひとえに、350年以上の伝統を誇るとされる「成田屋」を守るためとのこと。

    また、興行主である松竹に負い目を作らないためとも、逆に恩義に報いるためとも言われています。真相はそれこそ海老蔵氏にしか分からないことですが・・・。

    過去の様々な問題やトラブルがこれで帳消しになるという訳ではありませんが、こうした男気は、認めてあげてよいのではないでしょうか。

    度重なる悲劇、妻の麻央さんが乳がんを発病

    海老蔵氏を語る上でもうひとつ外せない話題と言えば、妻である小林麻央さんが乳がんを発症し、闘病生活を経て、34歳という若さで亡くなったことです。

    実は、麻央さんの乳がんは、一度、誤診によって見逃されてしまったのだそうです。

    長男である勸玄くんが誕生してから約1年後に人間ドックを受けた際、乳房にしこりが発見されたそうですが、その際には複数の医師がそろって、がんではないとの診断を下したとのこと。

    しかし、半年後の再検査で、乳がんであると診断され、さらには脇への転移も発覚。

    この半年間の時間のずれがなかったら果たしてどうだったのか、一概には言えないでしょうが、そう思わずにはいられません。

    麻央さんはこれ以後、がんであることは伏せて闘病生活に入ることとなります。

    麻央さんの闘病中は、姉で人気アナウンサーとして多忙な日々を送っていた小林麻耶さんが、お母さまとともに、麻央さんの看病もこなしていたとのこと。

    しかし、そうした無理がたたったのでしょう。麻耶さんが生放送中に過労で倒れるという事態が発生。麻耶さんが倒れたことをきっかけに、スポーツ新聞が麻央さんががん闘病中であることを嗅ぎつけ報道。海老蔵氏が緊急会見を開き、事態を公表することとなりました。

    250万人以上の読者を集めた麻央さんのブログ『KOKORO.』

    事がおおやけになってからほどなく、麻央さんは自身のがん治療の状況発信を行う公式ブログ『KOKORO.』を開設。死去の3日前まで、実に352回ものブログ更新を行いました。

    一部のネット民などからは「ブログ収入で高額医療費をまかなうために行なっているのか」といった心無い書き込みなども見られましたが、250万人以上の読者を集め、また同じ病気で苦しむ方々に励みや勇気を与えたとして、英国放送協会 (BBC) によって「今年の女性100人」の一人に選出された程でした。それこそ多くの方が、がんの克服を願っていたことでしょう。しかし・・・

    海老蔵氏、「人生で一番泣いた日です」とブログを更新

    2017年6月22日、自宅にてご両親や姉の麻耶さん、海老蔵氏、そして幼い麗禾ちゃんと勸玄に見守られながら、妻小林麻央さんは天国へと旅立ちました。

    麻央さんが旅立った翌朝、海老蔵氏はブログを更新し、麻央さんの死去を示唆する内容を発表。その日の午後、舞台を努めていた渋谷のシアターコクーンでの昼の部終演後、記者会見にて公式に麻央さんの訃報を公表。

    ちなみに抗がん剤の影響で朦朧(もうろう)としながら発した最後の言葉は「愛している」だったと伝えられました。

    ドキュメンタリー番組で取り上げられた、「その後」の日々

    2018年1月に放送されたドキュメンタリー番組『市川海老蔵にござりまする』において、麻央さんの死去からおよそ半年間の海老蔵氏の日々が、密着方式で紹介されました。

    昔から言われることとして、たとえ身内に不幸があっても、芸事は休んではならないというものがありますが、海老蔵氏とわずか4歳の勸玄くんにとってはまさにその通りとなり、7月の歌舞伎座における25日間の舞台にのぞむ模様が放映されました。

    とりわけ、この番組で重点的に取り上げられていたのが、海老蔵氏と勸玄くんの、歌舞伎界における親子関係。

    前述した歌舞伎の師匠としての父という役割を真摯に果たしている模様が紹介されていました。 父の團十郎氏、続いて妻の麻央さんを立て続けに亡くしたことで、海老蔵氏の中で、何かが変わったのでは、と思わせる内容でした。

    海老蔵氏の借金の行方、そして成田屋の未来はいかに?

    以上の通り、市川海老蔵という人物の半生もまた、一般人では体験できないような濃密なものであることがうかがえます。

    借金問題について公の場で語られることはありませんが、名門歌舞伎俳優としての活動を真摯に続けていけば、返済することも不可能ではないことでしょう。

    そしてもうひとつ、麗禾ちゃんと勸玄くんという麻央さんの遺伝子を引き継ぐお子さん2人が、どのように成長していくのかも、見守っていきたいところです。成田屋の未来に幸あれ。

    引用:カードローン総合案内

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