傾く人生 歌舞伎道
  • 【リクエスト特集】十一代目市川團十郎の妻・堀越千代の人生が壮絶すぎる…

    ■傾く人生 歌舞伎道 銀座・成田屋のトピックス

    本にもなった壮絶すぎる堀越千代の人生

    歌舞伎界で唯一の宗家、市川家。
    その屋号である成田屋は、言わば歌舞伎界のトップに君臨するといっても過言ではない。
    その成田屋の大名跡である市川團十郎。
    350年も続いてると言われてる市川團十郎ですが、その中でも特に人気があり、また破天荒だったと言われてるのが十一代目にあたる團十郎です。
    そんな團十郎の妻となったのが堀越千代。
    人気者の妻として一見幸せそうにもおもえますが、堀越千代の人生はあまりにも壮絶だったようです。
    その壮絶すぎる人生は、本として執筆され話題にもなるほどでした。
    一体、堀越千代とはどんな人生を送ったのでしょうか?
    今回はそんな十一代目市川團十郎の妻・堀越千代についてまとめてみました。

    海老蔵も憧れた十一代目市川團十郎とは?

    市川團十郎の歴史の中でも特に人気があったとされる十一代目。
    女性を失神させるほどの色男だったとも言われてます。
    その美貌と華のある芸風に、よく響き渡る美声で空前の歌舞伎ブームを巻き起こしたとされ、当時は『海老さま』と呼ばれ大人気な歌舞伎役者でした。

    (左・現市川海老蔵、中・十一代目市川團十郎、右・十二代目市川團十郎)

    現在の市川海老蔵さんが若い頃に「歌舞伎をやりたくない」と反発していた時期があったそうですが、そんな海老蔵さんが祖父に当たる十一代目の團十郎さんの演技をフィルムで観て感動し、そこから真剣に歌舞伎に取り組んだとの逸話があるほど。

    私は祖父に会ったことはございませんが、私が歌舞伎を始めたきっかけは、祖父の『与話情浮名横櫛』をビデオで観たことでした。「世の中にこんなにかっこいい男がいるんだ」、そこから祖父に憧れ、歌舞伎道に入って参りました。

    市川家のお家芸でもある『勧進帳』では弁慶を演じ、歴史ある成田屋の継承にも積極的に取り組んだ。
    十一代目市川團十郎を襲名する興行では『一億円の襲名』と言われ、低迷気味だった歌舞伎を再び人気の伝統芸能へと持ち上げた事でも有名です。
    だが一方では、大事な初日の舞台を突然休んだり、内気な性格だが癇癪持ちだったりと、使いにくい役者とも言われてました。

    癇癪(カンシャク)とは・・・
    ちょっとした事にも怒りやすい性質。かんぺき。「―持ち」。その発作。

    また当時の歌舞伎界では他家の御曹司に稽古をつける際、手を出してはならない事になっていたが、十一代目は容赦なしに竹刀で叩くなどもしていたそうだ。
    そんな十一代目團十郎だが女性にはとにかくモテた。
    一回目の結婚後も不倫は絶えなかったと言う。
    本妻の間には息子も生まれました。
    だが、その子は幼くして亡くしている。
    その後離婚。
    そして再婚したのが堀越千代でした。
    だがこの再婚、梨園からは猛反対されたのです・・・

    堀越千代とは?

    堀越千代については小説家の宮尾登美子さんが描いた作品からその人物像が伺えた。
    以後、宮尾登美子さんの作品『きのね』について女性セブンが書いた記事から、

    初代・團十郎から始まり、300年もの間歌舞伎を守ってきた市川宗家には、壮絶な歴史がある。例えば、海老蔵の父・12代目團十郎の出生にまつわるこんな話も。
    朝日新聞朝刊で連載された新聞小説が話題になった。1988年9月から1989年11月まで続いた宮尾登美子氏の小説『きのね』(新潮文庫)だ。
    小説は第2次世界大戦前より始まる。貧しい家に生まれた主人公の光乃は口入れ屋(職業紹介所)で歌舞伎役者の家の下働きの仕事を見つけ、住み込み家政婦として働くことになる。そこで出会ったのは、病弱で癇癪持ちの雪雄だった。光乃は雪雄に徐々に惹かれていき、雪雄の子を身ごもってしまう。病院に行くことも、人を呼ぶこともためらわれる“使用人”の思い。そして、光乃は痛みを堪え、もうろうとしながらも1人トイレで出産する。
    「この作品はフィクションという形式をとっていますが、雪雄は11代團十郎を、光乃はその妻をモデルにしています。つまりいまの團十郎の両親のことを書いているんです。若干のフィクションや誇張はありますが、ほとんど事実だそうです。宮尾先生は相当の取材を重ねていて、トイレで生まれた赤ちゃんのへその緒を切りに来たお産婆さんにも取材しています。
    当時、家政婦である千代と再婚したことは家柄を重んじる梨園にとってスキャンダルでした。それでも結婚を願ったのは誰でもない先代の團十郎さんです。当時、人気絶頂だった役者の妻として披露された千代さんがびっくりするほど地味な人だったため、宮尾先生は調べに調べてこの本を執筆したそうです」(歌舞伎関係者)
    当時、小説が発表されても、市川宗家側はあくまで小説だからというスタンスを崩さず、静観していた。

    千代さんは家政婦でありながらも、團十郎さんに想いをよせてました。
    どんなに辛い目にあってもその想いは変わりません。
    團十郎さんが一回目の結婚後も二人の家政婦として仕えなければならなかった切なさはとても辛かった事でしょう。
    また、團十郎さんが外で女を作った際の後始末も千代さんがしていたと言うのだから、その切なさは計り知れないものがある。
    そんな堀越千代さん、当時は使用人という位置づけでとても下層にみられていた家政婦が大人気な歌舞伎役者・市川團十郎と結婚する事は許される事ではなかった。
    だが、その結婚を強く望んだのは團十郎さんの方でした。
    團十郎さんは役者を辞してでも千代さんとの結婚を望みました。
    その想いに当時の海老蔵後援会長の前田青邨さんが、

    「千代を一旦養女にしてから結婚させよう」

    という事で結婚を認め、十一代目市川團十郎の襲名の時にようやく正式に籍を入れる事が出来たそうです。
    その後十一代目は襲名後わずか3年でこの世を去ってしまいました。
    青山霊園には十一代目市川團十郎の立派な墓石が建てられました。
    そしてその横にはひっそりと「堀越千代 59歳」と書かれているという。

    参考:きのね(上巻) (新潮文庫) [ 宮尾登美子 ]

    参考:きのね(下巻) (新潮文庫) [ 宮尾登美子 ]

    『十一代目市川團十郎の妻・堀越千代の人生が壮絶すぎる…』・まとめ

    今回は十一代目市川團十郎の妻・堀越千代についてまとめてみました。
    好きな人を想うが故のあまりにも切なすぎたその人生…
    そんな想い続けた海老さまと今は安らかに眠っているのでしょう。
    今回も最後までご覧頂き有難うございました。

    引用:歌舞伎の申し子!市川海老蔵ファンブログ!
    https://ebizo-ichikawa.com/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E-%E5%A0%80%E8%B6%8A%E5%8D%83%E4%BB%A3/

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